小林千登勢の「骨が溶ける病気」について夫の山本耕一が初激白!
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小林千登勢の骨の溶ける病気とは?
1997年(当時60歳)仕事で多忙を極めていた小林は、疲労もあり病院で血液検査を受けました。
ところが、医者から連絡を受けたのは夫で、多発性骨髄腫、いわゆる血液のがんと告げられました。
多発性骨髄腫は脊椎や骨盤など骨髄の中の細胞ががん細胞化することで起こる病気で、がん化した細胞が骨髄で増殖。
腫瘍のかたまりを作リ、がん細胞が骨を破壊しながら増殖します。
強烈な骨の痛みを伴う恐ろしい病で、感染症や肺炎、意識障害などの合併症を引き起こすことから、死に至る危険が極めて高いと言われています。
そのため、がんの中で最も完治が難しいと言われています。60代以降に多く発症し、原因はわかっていません。
山本耕一は医者から”奥さんの余命は5年”と告げられましたが、妻には、血液のがんとだけ伝えて2人で闘病生活を送ったのです。
闘病生活2ケ月後
多発性骨髄腫発覚後から2ケ月後、小林千登勢は次第に貧血や倦怠感が頻繁に起きるようになりました。
これが第1段階。小林は女優として生きるために抗がん剤を拒否し、病気を公表せずテレビに出続けたのです。
闘病生活5年8ヶ月後
小林は階段を登ろうとした時に腰に激痛が走りました。これが第2段階で、骨が溶け始めていたのです。
骨への影響は胸椎や腰椎の痛みから生じることが多いと言われています。
小林は自分で靴を履くこともできず、杖なしでは歩くことも困難になっていました。さらに、ブレーキのショックだけで骨折するなど、骨を蝕む腫瘍が至る所にでき始めていたのです。
それでも小林は、痛がる素振りは見せず、カメラの前でもぎっくり腰と答え、仕事を休まなかったのです。
闘病生活5年11ヶ月後には
胸水が肺を圧迫し、呼吸困難に・・・。
さらに、ひとりで排泄が出来ない状態で、痛い、やめてを連発。もう満身創痍で体はボロボロでした。これが第3段階で、死は目前にせまっていました。
最後の誕生日(当時66歳)は多発性骨髄腫発覚後から6年で、がんに蝕まれながらも家族に痛がる様子は見せませんでした。
そして、やむなく服用した抗癌剤の副作用で、髪が抜け女性用かつらを使用していました。
死の直前のテレビ出演は、2003年8月29日で「ベストタイム」。小林は、最後まで笑顔を絶やさず、死の2週間前までテレビや講演活動の仕事を引き受けていたのです。
そして、66で帰らぬ人となったのです。